2023年より一万円札の肖像画となる渋沢栄一が、当時、日本社会が直面していた「道徳なき商業における拝金主義」と「空理空論の道徳論者の商業蔑視」、本来、この両者については商業と道徳と単に切り分けるのではなく一体であるべきであるとし、道徳に基づいた商業を目指すべきであるという強い信念を説いた本となっております。
論語と算盤という題名と“渋沢栄一”という人物の名前をみて、この本は昔の商人が、そのビジネスについての考え方(ビジネスモデル)と、それに基づく財務会計の本ではないかと楽しみにしていました。
しかし、実際に読んでみると論語と算盤の意味は“儒教”と“経済”、もっと分かり易く言うと、“利益”と“道徳”との関係についての本であることが分かりました。
更に、その文章は超絶苦手な古文漢文のような文体で書かれているため、何度か読みながら気絶するかと思いました。笑
渋沢栄一の経歴が半端ではない
公益財団法人渋沢栄一記念財団のホームページより略歴を見つけたのでこちらを参考としてコンパクトに記載させて頂きます。
天保11年2月13日(西暦:1840年3月16日)、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。
郷里を離れ、橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。
27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。
明治維新となり欧州から帰国し、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。
第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。
事業に対する理念、人としてどうあるべきか
真正の利殖は仁義道徳、義利合一富みながら、且つ仁義を行い得るものであると記載があります。そして、利殖と仁義道徳とは一致するものであるとしています。
ここで使われている“利殖”とは、利益を生み出すもの、現代でいうところのビジネスと考えて問題ないと思います。
この内容を読んだとき、稲盛和夫さんの「生き方」という本を思い出しました。若干話がそれて恐縮ですが、稲盛さんは京セラ、KDDIの創業者であり、とても有名な経営者であります。
そんな稲盛さんもこの本の中で、どのように考え、行動してきたか。その哲学ととても近い内容であったことを思い出し、時代は異なりますが、成功する人には共通点があるなと気付かされました。
「それ具体的に教えて!」と言われるとパリッとした解答を書けないのでここでは割愛させてください。笑
道徳への考え方が柔軟
この本の中で、“道徳もまた進化すべきである”といった内容の文章が記載されています。
この発想は、特に年を重ねた人にとっては、なかなか難しい発想であると思っていましたが、やはり渋沢栄一さんは違いました。
道徳という言葉で書かれてはいましたが、現代でいうところの“常識”というニュアンスもあるように思いました。これはあくまでも私の意見ですが。
社会が変わる、この時代は特“電気”“蒸気”とか様々なものが登場した時期でもあり、その変化の中で、道徳も変化していくべきであると。
私は中学・高校時代、ケータイ電話の学校での所持を禁止されていました。
このサイトを見ている方の中にもそのようなルールの中で生活をしていた方がいるのではないでしょうか。当時より情報革命が起きており、ケータイ電話の所持ができない、ウェブへのアクセスができない環境を無理やり作り出してしまったことは、日本のITリテラシーを大きく後退させてしまう一つの要因だったのではないかと個人として感想を持っております。
もし、校長先生が渋沢栄一さんであったら、ケータイ電話の所持を認めていたように想像します。笑
常に世界を意識してる
世界に出ていけるようにすることと、世界から嫌われないようにすることについて本文に記載があります。
当時日本は鎖国をやめたばかりであり、世界の常識と日本の常識に大きなズレがあったことが想像されます。
そんな中、海外での日本人の行いは、常識を逸した振る舞いであったことも多かったでしょう、そのような事象について一早く気付き、問題として認識しているという点に渋沢栄一さんの凄さを感じました。
私だったら気付けないです。笑
アメリカに訪問した際に面会した人物がサラッと書かれているのですが、メンツがやば過ぎます。ルーズベルト大統領、ハリマン、ロックフェラー、スチルマンとまさにアメリカを代表するレジェンド。
しかもここで、ルーズベルト大統領より、日本の軍隊と美術について称賛された際に、渋沢栄一さんは商工業が注目されていない点について悔しいと嘆き、ルーズベルト大統領も「そんなつもりはなかった」的なリアクションをされていたとの記載をみて、商工業へのコミット、そしてその負けず嫌いな人柄を感じました。
褒められたんだから、一旦はありがとう的な感じで返してもいいんじゃないかとも思いました。笑
個人的に響いた文章
学ぶに暇(いとま)あらずと謂(い)う者は、暇(いとま)ありと雖(いえど)も亦(また)学ぶこと能(あた)わず。
訳:勉学しようと思っても仕事が忙しくてその暇がないというような者は、たとい暇があったとしてもとても勉学することはできない。
これをそのまま会社への通勤中、電車の中でスマホゲームをしている方々へ届けたい。笑
最後に
この本を読んで感じたこととして、マジで中国史と日本史、古文漢文をちゃんと勉強しておけばよかったわ~。
こう思ったときにやる人とやらない人で差ができるんだろうな。
まあ、今後関連するような本読んで勉強しようかな。